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東京地方裁判所 昭和58年(タ)168号 判決

原告

甲野花子

右訴訟代理人

松石献治

大谷好信

被告

甲野太郎

右訴訟代理人

佐野忠宏

主文

一  原告と被告とを離婚する。

二  原告と被告との間の長男一郎(昭和四五年八月一九日生)の親権者を被告、長女ミホ(同四七年六月二四日生)、二女ミコ(右同日生)の親権者を原告と定める。

三  被告は、原告に対し、金二〇〇万円を支払え。

四  原告のその余の請求を棄却する。

五  訴訟費用は二分し、その一を原告の、その余を被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  主文第一項同旨

2  原告と被告との間の長男一郎、長女ミホ、二女ミコの親権者を原告と定める。

3  被告は、原告に対し、金五〇〇万円を支払え。

4  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  原告と被告は、同四四年三月七日挙式して同居し、同四五年二月一八日婚姻し、同四五年八月一九日長男一郎、同四七年六月二四日長女ミホ、二女ミコをもうけた。

2  離婚原因

原告と被告間には、次のとおり婚姻を継続し難い重大な事由が存する。即ち、被告は、同五七年七月以降、全く生活費を渡さず、陰に陽に執拗に原告を追いだそうとしており、実質的に原告を遺棄しているのと同視しうる状態を創出した結果、原告・被告間の婚姻が破綻してしまつたのである。

(一) 結婚に至るまでの経緯

(1) 同三八年夏頃、被告は、被告の友人が経営していた原告の勤務先にたまたま遊びに来て原告を知り、原告に交際を申し入れた。当時、原告は病床の父および病弱であり終日父の看護に当る母にかわつて一家の働き手として、昼間は事務員等をして働き、夜は○○商業高校定時制に通学し、その貧しさは、言語に絶した。一方被告は、すでに上京して働いていたが、原告に会うため、たびたび帰省し、同四二年夏頃からは、月に一度は原告と交際するため帰省するようになつた。

(2) 同四三年夏、被告は原告に熱烈な求婚をした。それまで原告は被告について特別の感情はなく、単なる友人として交際していたが、被告があまりにも原告との結婚に熱心であり、また原告の両親も被告との結婚をすすめてくれたこともあつて同四四年三月七日、原告は被告と結婚式を挙げ、上京し結婚生活を始めた。

(二) 被告の原告両親に対する態度と中絶の強制

(1) 同四四年四月、原告と被告は里帰りをした。被告両親への挨拶も済ませ、原告が実家で休んでいると、突然被告が怒鳴り込み、原告両親に対しどうぼう猫等の悪口雑言を浴せかけた。原因は費用の関係で原告の家族分について用意しなかつた結婚式の引出物の「饅頭」を原告の両親がうつかり持ち帰つたことを、被告が同人の母より知らされたためであつた。この事件は、原告方で、仲人を介して被告方へ謝罪したため、一応の結着はついたが、このことがもとで、被告は原告の両親を一方的に見下し、拒絶するようになり、また、被告は原告に対し出ていくなら出ていけという冷たい態度をとるようになつた。

(2) この頃、原告は妊娠していたが、被告は原告両親との不仲を理由に、原告に対し、有無を言わせず中絶するように指示した。原告は争いの原因が、原告両親のミスに端を発したこともあり、また被告に対し、申し訳ないとの気持もあつたうえ、被告の反論を許さぬ強い態度に押され、被告の指示通り中絶手術をうけた。しかし、術後も、被告の原告に対する冷たい態度に変化はなく原告の体をいたわるようなことは全くなかつた。

(三) 長男出産についての被告の許可と婚姻届

(1) 被告は、原告が原告両親と交際することを極端に嫌がり制限したため、原告は両親と交信することもままならなかつた。そのような状態の中で、同四四年暮、原告は二度目の妊娠をした。被告は、原告と原告両親の間が疎遠になつたことから、出産することを許し、原告は同四五年八月一九日、長男一郎を産んだ。

(2) ところで、被告は、原告に出産することを許したため、それまで約一年間保留にしていた原告との婚姻届を、同四五年二月一八日届け出た。

(四) 被告と原告両親との確執

(1) 被告の原告両親に対する憎悪の感情には、常軌を逸したものがある。たとえば、

(あ) 原告が里帰りを希望しても、決して許そうとはしなかつた。

(い) 原告の父は肝臓癌のため、同三八年以降病床にあつたが、被告は原告が見舞いにいくことを許さず、危篤状態になつてから、たつた一度だけ見舞いにいくことを許した。

(う) 同四五年一一月、被告の母が死亡し、原・被告はその葬儀に出席したが、原告は賄い等の下働きに追われ、近所にある原告の実家へ立ち寄ることさえ許さなかつた。

(え) 同四五年一二月一三日、原告の父が死亡した。しかし、被告はその葬儀に出席することを非常に嫌がり、告別式の焼香に参列しただけで、近親者とも口をきかず、原告を強引につれだし帰省してしまつた。

(2) 一方被告は、原告に生活費として一か月約金五万円しか渡さないときでも、被告の母親に毎月金一五万円以上送金していた。

(五) 決定的破綻前の原告と被告の関係

原告と被告の関係は、結婚当初の騒動以降、けつして良好とはいえず、争いがたえなかつたが、特に次のようなことがあつた。

(1) 原告の家出

原告は、愛情のない乾ききつた被告との婚姻生活に耐えきれず、同四六年一二月、身重の体であつたにも拘らず、長男をつれて実家に帰つた。この時、原告と被告は、知人立会いで話合つたが、被告は離婚届をもつて原告と面談し、離婚してやるが子供は絶対に渡さないし、以後子供と会わせない、と強く主張し、原告との婚姻生活をどのようにして立て直すか、といつた建設的な意見を述べることはなかつた。原告は、子供を手離せなかつたこと、また間に入つてくれた知人の「子供のために死んだものと思つて頑張りなさい。」との励ましをうけ、被告との婚姻生活をやりなおすことを決意し、上京した。

(2) 被告の暴力と無慈悲

(あ) 同四七年六月二四日、原告は二度目の出産(双子の長女および二女)をした。ところで退院後、原告と被告は、些細なことから口論となつたが、被告は突然産後間もない原告の頭髪をつかみ原告を放り殴げるという暴挙に及んだ。

(い) また出産の手伝いに来ていた原告の妹を被告は原告退院後、一週間で帰してしまつたため、原告はまだ十分体力を回復していないにも拘らず、家事・育児と働らかなければならなかつた。その結果、原告は腎臓を悪くしてしまつた。

(六) 子供の教育についての被告の態度

(1) 子供の教育についても、原告と被告の間で話合つて決することはなく、被告の一方的でしかも特異な独断で全てを決していたが、常軌を逸した判断も多く、原告がこれに異を唱えると頭から怒鳴りつけるため、原告はただ被告のいうとおりにせざるを得ない状態にある。

(あ) 被告の子供らに対する教育方針は成績第一主義で子供らがテストで少しでも成績が悪いと、ドリルを一度に大量に購入し、子供らにやらせるようにと原告に指示し、子供らがドリルをこなしていないと、子供らを叱らずに、すべてを原告の責任として、原告を執拗に責めたてた。その時の被告の原告に対する説教は、いつも原告の両親・兄・姉や妹の悪口からはじまり、原告への非難へと延々と一時間ないし二時間も続き、原告が口答えすると、その何倍もの罵詈雑言が返つてくるため、原告はひたすら沈黙を守ることを余儀なくさせられた。このような被告の、原告に対する悪口雑言は、子供らの成績が少し悪かつたり、子供らが勉強をなまけるたびに繰り返えされた。

(い) 被告は、また子供らにドリルを買うばかりでなく、原告に対しても、教育に関する所謂ノウハウものを、つぎつぎと購入して読むことを強制し、あとで何が書いてあつたかを問い質し、子供が悪いのは全て原告の責任だと責めたてた。

(う) 長男一郎が運動会のリレー選手の補欠に選ばれたとき、被告は補欠は運動会当日走れないのに練習のため残されるのは、理不尽であると校長室へ乗り込み、校長に談判した。

(え) 被告は、子供の擦過傷程度の怪我についてまで、いちいち病院へ連れていくように原告を指示強制し、原告が少しでも自分の意見を述べると原告を怒鳴り付けた。

(2) このように、子供のことで被告が原告を怒鳴り散らし罵倒するため、子供らがみかねて、あまり原告を怒らないように、被告に頼むと、被告は子供らに対し、原告を怒鳴るのと同じ言葉でどやしつけるため、子供らも被告に対し、畏縮してしまつている。

(七) 婚姻生活の決定的破綻

(1) 被告による離婚の強制

同五六年暮、被告は突然原告に対し、「自分が生活費をもつてくることがあたり前と思つているか。」と問い質した。原告は自分が家事を担当し、被告が生活費を得てくるのは夫婦として自然な姿である旨答えたところ、被告は、原告が被告に感謝していないと一方的に決めつけ、原告に離婚届に押印して出ていくように強く申し入れ、しかも同五七年一月分からの生活費を渡さなくなつた。

(2) 一回目の調停申立

そのため、原告はやむなく、同五七年二月調停の申立をした。ところで、調停期日において、調停委員が適切にアドバイスしてくれた結果、被告が生活費を渡すようになり、また、子供らも離婚しないでほしい旨原告に頼んだこともあつて、原告は調停申立を取り下げた。

(3) 被告による婚姻破壊行為

(あ) ところが、原告が調停を取下げた後、被告は再び、原告が被告に感謝していないと決めつけ、原告に対し「子供を置いて出ていけ。」と怒鳴り散らし、また「顔をみると吐き気がする。」と、原告と顔を合わそうとせず、口もきかなくなつた。

(い) そればかりか、生活費も、同五七年六月分を減額し、同年七月分からは全く渡さなくなつた。

それまで、原告は、毎月金三〇万円の生活費を渡されていたが、そのうち金八万円は、被告が貯金することを強要するため、残額金二二万円で、電気・ガス・電話・水道の料金を支払い、成長期の子供達の食費・教育費、被告の食費等すべてを賄つていたため、手元にお金は残らなかつた。また、被告は原告に貯蓄させた金をときどき下させ、もつていつてしまうため、貯金もあまりなかつた。

(う) このような状態のなかで、被告が生活費を渡さなくなつたのであるから、原告と子供達の生活はとたんに窮乏した。これに対し、被告は「子供達の生活は、いままで月八万円づつ積み立てた貯金で賄え、しかしその金は自分のものだから、お前の生活のためにはビタ一文使つてはならない。」と原告に強く申し渡した。そのため原告はやむなく働きに出、生活費を稼がざるを得なくなつたが、子供達の食事の世話等の必要上思うように時間もとれないため、就職口も限られ、食堂の皿洗い等のパート収入で月約四万円を得るのが精一杯であつた。また、手許にあつた貯金も、日を追うごとに減つていき、当然不足分は、原告のパート収入に頼らざるを得ないが、被告はそのような状態になつても、貯金は残つているはずだと、いまだに、子供達の分の生活費や塾等の月謝さえだそうとしない。

(え) これにひきかえ、被告は原告に、月々生活費として金三〇万円を渡していたときでさえ、毎月、会社もしくは被告および子供ら名義で金六〇万円を貯金しており、毎年社員(七・八名)をつれて豪華な社内旅行を行なつている。(ちなみに或る時被告は原告に「金二〇〇〇万円やるからとつとと出ていけ。」と怒鳴つたことがあつた。)それにもかかわらず、税務署への申告額は極端に少なく、子供達は区から補助をうけ、給食費と学用品を無償にしてもらつている。

(お) ところで、毎月の家賃だけは、被告が負担しているため、被告は原告に対し「自分が借りている家によく平気でいられるものだ。」などと原告に申し向け、暗に原告に出ていくことを強要するのであつた。

(4) 夫婦としての実態の欠如

某日深夜、被告は原告を某所のスナックに呼びだし隣席の見も知らぬ男に、原告を指さし「この女馬鹿だけどあんたにあげる。」といい、さらに「お前など、もう抱く気はしない。」などと周囲をはばかることなく公言し、原告の人格を完全に無視するようになつた。勿論、夫婦としての性的関係は、完全に途絶え、寝室も全く別々の状態になり、夫婦としての実態は何一つなく、単に戸籍に夫婦として記載されている男と女になつてしまつた。

(5) 二度目の調停

そのため、原告は、同五七年一〇月、再度東京家庭裁判所へ調停の申立をし、調査官による面接も試みてもらつたが、第三回調停期日(同五八年二月一九日)において、被告は、原告が被告に感謝しない以上調停を続ける意味がないと、強く調停打切りを申し入れ、裁判官はじめ、調停委員の真摯な説得にも耳をかさなかつたため、調停は不調とならざるを得なかつた。

(6) 婚姻関係を決定的に破壊した被告の暴力

二度目の調停が継続中の同五七年一二月三〇日深夜、被告は原告を呼びつけ執拗に原告を責めなじつた。あまりのことに原告が一言、言いかえしたとたん、被告は原告めがけて茶碗を投げつけ、憎悪むきだしの表情で原告の首をしめつけた。原告は一瞬殺されると思つた。原告はあまりの苦しさに必死の思いで「殺すなら殺せ。」と叫んだところ、被告はようやく原告の首をしめつけることを止めた。被告のこの暴力の結果、原告の体には痣ができた。

(7) 原告の恐怖

この事件以降、原告は、毎日殺されるのではないかという思いで過ごしているばかりでなく、被告に対する原告の恐怖の感情は理屈では如何ともし難い根深いものであり、恐怖におびえる原告の姿はなお語り尽せない二人の生活の暗い歴史を如実に物語るものと云わざるを得ない。そのため原告は被告と二人きりになることを極力避け、親類や友人宅へ泊りに行つたり、また子供部屋に子供と一緒に寝るようにし、しかも被告に押し入られないように、部屋に鍵をかけ、さらに開けられないようにひもで結え、また、いつ被告に叩き出されてもよいように着替えもせず床についていた。原告は、同五八年四月一四日、被告あて本件訴状が送達されたため、帰宅後、同訴状を見たときの被告の荒れ狂う様子を予想し、身体に危害を加えられることを心から怖れ、家を出た。原告は、家を出るにあたり、本当は子供を連れて出たかつたが、万一、子供達を連れて出たとき、被告のこれまでの対応からして、子供達にまで危害を加えられ、ひいては原告にも身体的な暴行を加えられることが当然予測しえたので、後髪をひかれる思いで、あえて子供を残して家を出たのである。

(八) 結語

以上の実情において、原告は、被告から理不尽な暴力による肉体的苦痛を蒙つたうえ、さらに筆舌に尽し難い精神的苦痛をうけている。そして、このような状態の原告と被告の関係は、信頼と愛情を基本とする夫婦関係からは、ほど遠いものであることは明らかであり、むしろ憎悪と侮蔑にこり固まつた被告によつて、原告が虐待され、隷従を強いられている関係といつても過言ではなく、原・被告間の婚姻関係は完全に破綻しきつている。このような夫婦関係を正常な関係に修復することは、被告の性格に照らし、到底不可能であり、最早離婚以外には途はないものと思料する。さらに人格形成上重要な時期にさしかかる子供達のことを考えた場合、信頼と愛情に欠け、憎悪に満ちた夫婦のもとで養育されることは、子供達にとつて益するところは全くないものと思料する。したがつて子供達のためにも離婚こそが最良の方策であると信ずる次第である。

3  子供達の親権者について

前項に述べた被告の暴力的傾向および子供達がまだ原告の愛情を必要とする年代であること、さらに子供達も被告に対して畏縮しており、被告のもとに置いたのでは健全な成長が望めないこと、さらに被告は会社経営に忙しく、日・祭日も出勤し、帰宅しない日も多く、一年のうちで休むのが正月だけという状態であること、原告は家を出た後も子供達とのコミュニケーションはしつかりできていて、いつでも子供達と暮せる態勢を整えていることを考えるならば、子供の正常な養育のためには、どうしても原告をして親権を行使させる以外にはないものというべきである。

4  慰藉料

本件離婚は、被告の一方的な婚姻破壊行為にもとづくものであり、原告はこれにより、はかりしれない精神的苦痛を蒙つた。それはとても金銭により評価しうるものではないが、強いて金銭に換算するなら金五〇〇万円を下らないものと思料する。

5  よつて、原告は、被告に対し、民法七七〇条一項五号に基づき離婚を、及び離婚に伴う慰藉料五〇〇万円の支払を求め、あわせて、原被告間の長男一郎、長女ミホ、二女ミコの親権者を原告と定めることを求める。

二  請求原因に対する被告の反論

1  請求原因2(二)、(三)について

被告は、同四四年四月、里帰りの際、被告の姉より以下の経緯を聞かされた。披露宴は、式場の二階の部屋で行われた。披露宴の終りころ、一階玄関にて原被告は見送られタクシーで旅行に出発した。原告両親は二階の窓から見送るからと二階に残つた。見送りの後、二階に被告の親兄弟が一緒に戻つたところ、宴席にあつたはずの風呂敷に包まれた料理・引出物類が一切跡形もなく失せており、原告両親も散会の後であつた。式場側に問い合わせたところ、残つていた原告の両親、兄嫁らしき人達が各席一つづつ集め、両手両脇にかかえて運び去つたという説明を受けて納得せざるを得ず、被告の親兄弟は手ぶらで帰ることとなつた。被告は電話で事実の確認を原告に依頼したところ、原告の母親が知らないと言つているということであつた。そこで被告が原告の両親宅を訪れ、更に問い詰めたが、知らないと言い張つた。その後、種々事実を認めざるを得ないような証言が出るに及んで、初めて自分の分と間違えたとかいらないのでほつておかれたのではないかと思い、もつたいないので持ち返つたとかいう認め方をした。被告は、原告の両親に対し、手ぶらで帰つた被告の両親に対する態度をはつきりさせる様強く求めたが、間違えただけなのに何をいうのかとの言葉のみが返つてきた。被告は、事態の決着をつけるため、原告の父親を同行して仲人宅に赴いて被告がことの経緯を仲人に説明したのであるが、原告の父親は被告と仲人とのやりとりに同調するかのごとき態度を見せるにとどまつた。

その後、原告の母親は、原告に対し、連日、電話、手紙で、「親を馬鹿にした様なやつと一緒に居るお前は親不孝者だ、お父さんもそう言つている、お前の一緒に居る人は親を馬鹿にする常識のないやつだ、早く帰つて来い。」などと繰り返し責めたて、これが延々と続けられた。その間、原告は、自分の親の言うことでもあるためか、親に対し一言の注意を喚起することば、態度はなかつた。あまりうるさいので同年七月、原告に一時帰つて話し合つて来るよう勧め、原告は二〇日間ばかり里帰りをしたが効果なく、原告帰宅後も同様の状態であつた。被告は原告の動揺する態度を見ながら結婚生活の継続をいかにしていくべきか考え、原告を原告親族等とは無縁となるようにしなければならないと思つた。しかし、被告のいない間に来る手紙、電話は防ぎようがないこと、原告が親の感覚を素直に感じることから、原被告間の結婚生活は不安定な状態のまま続いた。被告は、子供が原被告の生活の要となつてくれればと願い、長男出生を決断した。その間も原告の母親から、親を馬鹿にするようなやつの子供を生もうとしてどういう気だ気が狂つたのと違うか等の内容の手紙が間断なく続き、これを素直に感じる原告の感覚は新しい生活を作つていく上で大きな問題であつた。

2  同2(五)について

原告は、同四四年三月結婚以来、同四六年一二月までに一〇回程里帰りしている。同四六年一二月に里帰りした際、玄関の入口のところに寝ていると聞かされ原告と衝突した。その時は、原告の元勤務先の社長宅に、原告を呼び出し、社長夫婦に説得してもらい、原告を連れ戻した。

被告は、双子の生まれる前一か月余の間は原告の腹が大きく、仰向にも、横にも眠ることができないため、マットレスをくの字型に曲げ、もたせ掛け、横に倒れないよう身体を支え、頭を持つて添い寝した。原告の妹が、日当、交通費付で手伝いに来てくれたが、何一つ役立つことがなく、そのため、貸おむつを使用し、買い物を被告の分担とするなどして原告の負担を軽くした。被告は、長男誕生以来、長女、二女が一歳以上になるまで子供達の入浴を分担している。被告が、原告の頭髪をつかみ放り投げるなどしたことは全くない。

3  同2(六)について

原告の被告に対する態度は、原告の母親の洗脳により、親を親とも思わないやつ、それは最も愚劣なやつという考え方がしみついたためか、被告の言うこと一つ一つを理解し行うというものではなかつた。家庭における幼児時代からの子供達の躾は、大事な大切な問題である。原告の持つ価値判断、社会規範の中に子供の全てを置くことは被告には出来ない。子供達の能力は多種多様で素晴しい成長力を持つ、親は導かなくても後からそつと助ければよい。子供達が被告に畏縮しているかどうか、関係者の証言を求めたい。

4  同二(七)(1)ないし(5)について

当時の、原告と被告との対話は次のようなものである。

原告「生活費を私に渡すのはあたりまえじやない。」(当然に思うの意)

被告「なんだつて、……それはおかしいじやない。」

「なんで? あんたが俺に向つてあたりまえというのか。」

原告「……」

被告「確かに俺が働いて、この家の生活費を稼ぎ出すのは俺にとつて、俺は、自分にあたりまえと言い聞かせている。だが、どうして、あんたが俺に向かつてあたりまえというのか。」

原告「じや何なのよ。」

被告「それはありがとうでしよ。ご苦労さんじやないのか。」

「もしここにいる子供達が、ママがごはんを作る役目があたりまえと言つたら、もし子供達が、学校の先生は給料をもらつているのだから教えるのはあたりまえだと言つたら、それはおかしいじやない。」

「ママがごはんを作つてくれるのは(子供らに向つて)ママありがとうでしよう。先生に教えてもらうことも先生ありがとうでしよ。」

「あんたが俺に向かつてあたりまえと言つたら俺はやつて行けないじやないか。」

右の会話の後、例のごとく、原告のふくれ面のみが残つた。その後、原告は近隣の友人達にあたりまえ論をまき散らし、同調を得られたのか、あたりまえは言葉から主張となつていつた。被告の仕事上早朝、深夜、夜間の作業現場を多く抱えるため、結婚後一か月後くらいより、原告の希望どおり八時間睡眠を確保するため、朝七時に起き、夜一一時には就寝することを許した。朝七時以前に被告が出かけるときは、被告の朝食等の仕度はしなくてもよい、夜一一時過ぎに帰宅したときは被告が自分で間に合わせるという生活が子供の手がかからなくなつた近年になつても続き、一三年間乱すことなく固く守られてきた。被告が働き、原告に手渡して来た生計費は、被告が小さな会社を組織し、資金繰りに走り、人手不足を自らの手で補つて稼ぎ出した被告及び被告と一緒に働いてくれている人達の汗の固りである。その仕事とは、原告が何百回も洗濯機を回して洗つてくれた被告の作業着の汚れと同じ臭気をもつビルの汚物タンクの中を、ある時は原告の寝ている真夜中に、ある時は明け方三時、四時からはいずり回ることにより得られるのである。子供達の手のかからなくなつた近年、原告は、PTAクラブのバトミントンをはじめ、地域のクラブに移りBクラスからAクラスへ進み、連日の練習、夏休みの何日かの合宿練習、度々行われる試合にと、楽しく過ごしている。これにひきかえ、被告は、自分の靴を磨くことも、カッターシャツのボタン付けも、作業着のボタンの小ぎれも自分でしている。被告が、知人又は事務員から貰う子供達への手土産に対し、子供達に学校から帰つたらありがとうの電話をかけさせることを何度も頼んだにもかかわらず、原告は、忘れた、子供が忙しかつたなどと言つて結局、電話をしなかつた。原告は、ありがとう、ごめんなさいの極端に少い人である。ごめんなさいというのは、相手に詫ることのみではなく、大部分は、自分の行き届かない配慮を正すために言うものである。ごめんなさいをいわないでいると、知らず知らずのうちに過つた行動に進み、更にその行動が他人から悪どいと映るようになる。被告は原告を気の利かない人と見ていたが、気の無い人と気付いた。「それはありがとうでしょ。」「ご苦労さんじやないのか。」という被告の主張に対する原告の考え方を訴状により、初めて感謝の強要と映つていることを知つた。第一回目の調停が終つた後のこと、原告に話をした。例えば、被告と共に働いてくれる人達に向かつて、「お前達、俺が給料を払つてやつているのだから、働くのはあたりまえだ。」と言つたり、態度を示したら、被告の会社のようなところで働く者はいない、雨が降れば無理するな、疲れた顔をしていれば大丈夫か、作業完了の電話報告があれば、ご苦労さん、車庫に向かつてくれ、気をつけてな、というのである、決して人間味のない対応をしてはならない、なぜならば、それは同じ一つの仕事を皆でやつているのだから等。一人の人間が生きていくことは、多くの人達に助けられなければ出来ないんだ、原告と被告は一つの家庭を一緒になつてやつているのではないのかと。原告は、いつものように、黙つているのみであつた。そして再び、「やつぱり私は、あたりまえだと思う。」の宣告が被告につきつけられた。自分の妻が、家庭を支える夫の労働をあたりまえと喚き続けるという異常な、惨めな状態に、被告は耐えられない。子供達に手が掛らなくなつた近年、原告の行動は、子供達の世話を除いて、落着いた楽しい生活、努力をして作り上げる生活、喜びのある生活よりおもしろおかしい生活を選ぶようになつたように見える。被告が、生活費の支給を止めたのは、被告の労働に対しあたりまえ、あたりまえを繰り返し浴せかける原告に対する被告の薬である。

右のとおり、被告が原告に対する昭和五七年八月以降の生活費の支給を打ち切つたのは事実であるが、それは被告が原告に対し再三申し入れた「給料を家族のために稼いでくる自分に相応の感謝の態度で接して欲しい。」とする要望が「夫が給料を稼いで妻のもとに持参するのは当りまえの事」と原告から完全に無視されたことに悲憤・絶望した被告が、原告にそのような態度を改めて欲しいとの願いを込め、止むに止まれぬ気持からとつた処置であり、原告及び子供らの遺棄を意図したものでは決してなかつた。一家の柱である被告のこの切実な願いを原告が少しでも謙虚な気持で受け止めて事態を好転させるにふさわしい態度即ち夫に対する情愛・感謝を自然な態度で示したら、夫婦関係は一過性の夫婦喧嘩を乗り越えて円満な状態に復旧することができた筈であつた。夫婦間の会話において「夫が給料を持つてくるのが当りまえかどうか」が真剣に問答されること事マ態マ不自然なことだが、妻がこれに対して「当りまえである。」と断言し夫のプライドを傷つけるというのは、夫婦関係の継続を望まぬと表明するに等しい暴言だと言わざるを得ない。しかも被告は暫定的な措置として原告に対して生活費を渡さなくなつたとはいえ、これまで通り家族と起居を共にし平常通りの生活を送り、それまでに原告に預けていた金六〇〇万円以上の預貯金を原告が生活費として取り崩すことを容認し(少なくとも預貯金を取りあげたりはせず)、現実に原告も右預貯金の中から生活費を支出してきたところである。被告は家族を無一文の状態で世間の荒波に放り出したわけではない。むしろ原告の方こそ、被告と充分話し合つて理解し合おうとする努力を放棄し、夫婦の同居義務に違反して敢えて家出別居し現在に至るところであれば、原告が夫及び子供らを捨てたとの見方も強ち的外れとは思われない。

5  同2(七)(6)について

原告は離婚原因の一つに被告から暴力を受けたことを挙げる。しかし被告が原告に対して暴力をふるつたのは長い結婚生活の中で、昭和四四年結婚した当初夫婦間の些細な争いの折、頭を上から軽くコツンと一つ叩いた時と、昭和五七年一二月二〇日頃被告が夫婦間の言い争いの時に飲み残しの冷めたお茶をかけた時の二度だけであつた。しかもこの二度目の時は原告がそれに続いて自分の持つている茶碗を被告の顔めがけて投げつけ、割れた茶碗が被告の額に刺さつて被告が怪我をしたことからも分る通り、むしろ重大な暴力をふるつたのは原告の方であつた。原告は双子出産直後被告から髪を掴まれて押入れの戸にぶつけられたと述べるが、被告にはそのような記憶は全くなく、これは原告の記憶違いか又は作話としか思えない。原告自身が法廷においてその喧嘩の原因は覚えていないと述べている点からみても、例えその折何らかの夫婦間の争事があつたとしてもその原因を忘れてしまう程度の些細なものであつたのであろう。いずれにせよ原・被告夫婦の生活歴を見るとき、被告が暴力をふるつたということが二人が現在のような状態(別居状態)になつたことの原因となつていないことは明らかである。被告の暴力は世間一般の夫婦喧嘩の域を出るものではない。

6  同2(八)について

原・被告が長い結婚生活を経ながら残念なことに地固まらず現在のような別居状態に至つたのは、結婚当初の「饅頭事件」、前記した「当りまえ論争」、育児教育についての考え方の違いなどの形をとつているが結局は夫婦の人生観、処世観等の違いからくる対立、世間でいうところの性格の不一致に起因すると思われる。夫婦関係がこのようなぎくしやくした状態になつたことについて被告に何の責任もないとは言わないが、それは離婚原因として取り上げられるようなものではない。原告が被告の人格あるいは人生観等を充分理解し、多少なりとも思いやりをもつて接することができたなら現在のような状態になることは避けられた筈である。当法廷においても原告は「饅頭事件」における原告側親族の過誤を否定するなどその態度には女性らしい円満さを欠いた頑な点がまま見られ、普通の夫婦間なら取るに足らない夫婦喧嘩の種を必要以上に拡大させるといつた傾向があつたのではないかと思料される。

7  同3、4について

原告は訴状請求原因において原・被告の離婚を求めると同時に、子供らの親権者を原告と定めること、慰藉料を支払うことを求めている。これら離婚に附帯する請求は、前記した通り被告に離婚原因にあたる事実が存在しない以上全て棄却されるべきは当然のことである。しかしここでは念のため、右離婚に附帯する請求に関連する事実に付言しておく。

理由はいかにせよ原告は昭和五八年四月一四日夫と子供らの生活の場を去り別居生活に入つた。その後被告は三人の子供達のために朝食の支度をし、毎月一六万円で家政婦を雇つて家事仕事を補い、毎夕を子供達と共にするなど子供の教育及び育成に涙ぐましい程の努力を尽くして来た。子供達も父親になつき兄弟仲もうまくいつており、学業成績も安定している。生活力もあり、子供らに対する愛情に満ちた被告がこのまま子供達を育てる方が子供達にとつて幸わせであることは、一見して明らかである。子供達三人を原・被告各々が分けて育てるという原告からの提案は、平穏に暮している子供達を引き裂き、子供達の心に傷痕を残すだけであり適切な解決とは言えない。

原告は被告に対して金五〇〇万円の慰藉料の支払いを請求しているが、原告は前記した通り既に金六〇〇万円の預貯金を家から持ち出している。原告としては敢えて右預貯金の返還訴訟を提起しない被告の心情を思いやるべきである。

第三  証拠〈省略〉

理由

一〈証拠〉を総合すれば、以下の事実が認められ、前掲各証拠のうち右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

1  原告と被告は、昭和四四年三月七日挙式、同四五年二月一八日婚姻届を提出し、同年八月一九日長男一郎、同四七年六月二四日長女ミホ、二女ミコをもうけた。

2  同四四年四月、原被告が里帰りした際、被告は、被告の姉から、結婚式の原告側、被告側の引出物など全部を、原告の両親、兄嫁らが持ち帰り、被告側は全く土産物なしで帰つたことを聞き及び、原告の両親に右経緯を問い質した。原告側は当初知らない旨答えていたが、後、過誤であつたことを認め、原告側で仲人を通じ被告側へ謝罪して一応結着が着いた。しかしながら、右事件は、被告と原告の親族との間にぬぐい難い不信感を残し、その後の結婚生活に大きな影響を及ぼすこととなつた。

3  原告の両親は、右事件の経過において、被告の、原告の両親に対する態度に不快を覚え、また、被告の態度から原告が将来、被告に大切にされないのではないかと不安に思い、原告に対し、盛んに実家に戻るよう電話や手紙で説得を続けた。右の説得は、頻繁かつ執拗であつたため、原告は、両親と被告との間で動揺を続け、原告の右態度により、被告の原告の両親に対する不信感はなお増大し、被告は、原告と原告の実家との交流を断たなければ結婚生活は維持できないと考えるに至り、原告に実家との交際を極力避けるよう厳命した。

4  そのころ、原告は妊娠していたが、右のような事態から結婚生活の維持を危ぶんだ被告の判断で中絶した。同年暮、再び妊娠したので、原被告とも出産を決意し、被告は、同四五年二月一八日それまで留保していた婚姻届を提出し、同年八月一九日に長男一郎が出生した。

5  原告は、被告が右事件を通じ原告の親を非難し、実家との自由な交際を禁じ、中絶を命じたことに不満を持ち、被告に対する素直な態度に欠ける面があつた。また、被告も、右経緯から原告の実家を忌み嫌うあまり、原告の態度に不満があると、まず原告の実家を非難し、そのうえ延々と原告の態度、心構えを難詰するのが常となつた。

原告は、被告の右のような態度に耐えられず、同四六年一二月、一度家を出たことがあつたが、被告が、子供は絶対手放さないと述べたことや、仲人のとりなしもあつて、帰宅した。

6  同四七年六月二四日、原告は双子の女児を出産した。この際被告は、身重の原告を支えるなどし、また、出産後は家事の一部を負担するなどして原告に協力した。原告は、長女、二女出産後育児に忙しく、家事に十分手が回りきらないこともあつたが、被告の理解もあつて、このころは比較的平穏な日々であつた。原告は、掃除、洗濯は丁寧であり、子供達の面倒もよく見、主婦として、母親としての努力を十分し、被告もその点を評価していた。

7  被告は、ビルの水槽等の清掃会社を経営し、同五一年ころからは、月額三〇万円を家計に入れ(内六万円は貯蓄にあてるよう指示していた。)ることができるようになつていた。清掃等の作業は、早朝から深夜に及ぶこともあり、正月を除いて休みもなく、人を使い、労働、経営の厳しさは格別であり、被告には、その苦しさを原告に理解してもらいたい、感謝の気持、いたわりの気持を表わしてもらいたいという気持が人一倍強かつた。原告も、子供達が小学校に行くころまでは、家事と育児に忙しく、ともに苦労していたので、被告にさ程不満はなかつたが、子供に手が掛からなくなつた後、原告に余裕ができたのにかかわらず被告に対する面倒の見方が従前と変らず、早朝、深夜の食事の仕度をしなかつたことなどがあり、また、原告のバドミントンに熱中する態度などを見、被告の労働を理解していない、被告の苦労に感謝の気持がないと感じ、原告に対し徐々に不満を抱くようになつた。また被告は、子供の教育に熱心であり、子供が被告の思うようにならないと、原告を非難し、原告に対し不満をぶつけ、文句を言つた。被告は、原告に対する右のような種々の不満を、原告の些細な行動に爆発させ、原告に対し、原告の実家に対する非難からはじまり、原告の被告に対する態度を難詰するに至る長時間に及ぶ説教をした。その態度は、強圧的で、反論を許すものではなく、原告が少しでも意見を述べるや、なお憤激して非難と詰問が増すものであつた。右のような、被告の怒つた際の態度は、執拗で少々度を超したものであつたので、原告は、被告を怖れ、常に被告の意見を聞くのみで、全く自己の意見を表明することがなくなり、同時に被告に対する反撥心を増復させていつた。そのため、原告の被告に対する態度には若干かたくなな面があり、素直に感謝の念、いたわりの言葉を表現することがなく、そのことにより、被告はますます原告に対する不満を募らせていつた。

8  同五六年暮、原告が被告に生活費の増額を要求したことから、被告は、原告に対し金を稼ぐことがどんなに大変なことかを説明していたところ、原告が、被告が原告に生活費を渡すことはあたりまえである旨発言した。被告は、従前より、原告の態度を、被告に対する感謝の念がないと不満に思つていたところ、原告の右発言を聞いて憤慨し、生活費を渡すことは被告にとつてはあたりまえであつても、原告にとつては、ありがとうであり、ご苦労さんであるはずだ、被告の努力をあたりまえと言われたのでは渡すことはできないと述べ、生活費を渡さないことは、被告が生活費を稼ぐことをあたりまえと感じる原告の感覚を正すための薬と考え、同五七年一月から、原告に対し、生活費を渡さなくなつた。

9  原告にとつて、その衝撃は大きく、即座に生活の不安を覚えやむなく同年二月調停を申し立てたところ、調停委員の説得により被告は生活費を渡すようになつた。しかし、その後、再び、被告が原告に対し生活費を渡すことをどう思うか問い詰め、原告がやはりあたりまえと思うと答えたことから、被告は憤怒し、同年八月分以降から生活費を渡さなくなり、それまでの貯金で被告と子供達の生活費は賄うよう、原告の生活費は自分で得るよう申し渡した。そこで、原告は、パート等をして月四万円程を得、他は従前の貯金を取り崩して生計を賄つていたが、生活の不安は大きく、同年一〇月二度目の調停申立をした。しかしながら、被告の決心はかたく、被ママ告が生活費を渡すことをあたりまえと思つている以上調停を続ける意味がない旨述べ、結局不調となつた。

10  同年一二月末ころ、被告が、原告を難詰している際、原告がこれに言い返したところけんかとなり、被告が原告に飛びかかり、その腕をつかみ、首をしめつけた。原告は殺されるのではないかという恐怖感におそわれ、以後、被告と二人になることを避け、子供部屋で着替えもせずに寝るようになつた。

11  原告は、右の状況下でも、子供達のために家にとどまつていたが、同五八年四月、本件訴状が送達されたときの、被告の荒れようを想像すると、原告は自己の身体の危険を感じ、また、従前の被告の態度からすると、子供達を連れて出た場合、どのような事態が起こるか知れないと思い、単身家を出た。

12  原告が家を出た後、被告は、仕事の時間を短縮するなどして子供達の養育に尽し、家政婦を雇い、家庭教師を付け、休日に家族で遊びに行くなどして原告の居ない空隙を埋めるべく努力をしている。子供達も原告家出当初の動揺から立ち直り、兄妹協力しつつほぼ安定した生活を保つている。兄妹三人の性格は、長男はおとなしく、長女はのんびり型、二女は快活型のようである。

13  原告は、家出後、度々子供達と会つて接触を保ち、時には子供三人と遊びに行くなどし、子供達の理解も得ることができ働きながら、子供達を引き取ることができる日を楽しみに生活している。三人とも引き取ることが難しい場合は、女親でなければできない相談等もあろうから女児二人だけでも引き取りたいと念願している。

14  原被告双方とも、現在では婚姻生活の維持に望みを持つておらず、その意思もない。離婚した場合、双方とも子供達をひきとつて養育することを望んでいる。双方とも子供達に対する愛情は十分あり、原告に母親として不適格な点は特になく、被告にも父親として不適格な点は特にない。

二右認定の事実によれば、原告と被告との婚姻は破綻して回復の見込はない。その直接の原因は、被告の、生活費を渡さないという、原被告の婚姻形態においては原告と子供達の生活を直接に脅す行為であるが、また、被告の原告に対する執拗な難詰や暴力も原因となつているところ、その理由が、原告の、被告が生活費を渡すことはあたりまえと思う旨の不適切な言辞や、従前の若干かたくなな態度にあつたとしても決して正当化できることではなく、したがつて破綻の責任は主として被告にあるものと認められる。右は婚姻を継続し難い重大な事由に該当する。

三親権者の指定について検討する。前記認定の事実によれば、原被告双方とも親権者として不適格ではなく、被告も原告家出後、子供達の養育に尽し、子供達も被告の許でほぼ安定した生活を送つていることを考えると、被告に今後も養育を委ねるのが適当であると考えられなくもない。しかし、長女、二女は双子で性格も異るようであり、そろそろ思春期を迎える難しい年齢にさしかかることを考慮すると、長女、二女にとつては、母親と日常的に接し、細やかな配慮を得ることがその健全な成育上是非とも必要である。また、原告の許に引き取られても環境が急激に変化するものと思われない。これに対し長男は被告の許で社会人としての訓練を受けることが有益である。兄妹を分けることはできれば避けるべきことではあるが、前記認定の事実からすると、兄妹の交流は今後も継続させて行くことが期待できるから、この点の不利益は、やむを得ないものと考えざるを得ない。したがつて、長男の親権者としては被告が、長女、二女の親権者としては原告が相当であると判断する。

四前記認定の事実によれば、離婚に至る主たる原因は被告の行為にあるとはいえ、原告にも不適切な言辞、態度があつたことなどを考えあわせると、本件離婚に伴う慰藉料としては金二〇〇万円が相当である。

五よつて、原告の本訴離婚の請求は理由があるから認容し、慰藉料の請求は、金二〇〇万円の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却し、原・被告間の長男一郎の親権者を被告と、長女ミホ、二女ミコの親権者を原告と定め、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を適用して主文のとおり判決する。 (岡部喜代子)

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